決断!!
みなさ~ん!!
人生って
決断の連続って
思うんです!!
皆さまいかが思われますか~
今日何食べようかな~
今度湯布院温泉行きたいな~
いや別府がいいかな~
仕事何しようか~
今度の休みは?~・・・・
なんて、いつもいつもいつも~
行動は決断の連続だな~って
感じます
そして
その決断の結果は?
自分で決めた決断は
自分に責任がやってきます~
他人が決めた決断は
他人が責任を取らないといけない
自分には関係ないって?
そうなんです~
他人が
決めた決断で自分も責任がくるのは
連帯保証人・・・しかし、印鑑押すとき
自分が決断していることだから
自分の責任
他人が決めて
自分が責任を取ることはないと思うんです
他人の決断に
自分が責任を感じることは
ないはずなんですが
もし
感じるとすれば
他人の決断に恐ろしい結果が
事前に分かったとき
その恐ろしい結果を
事前にお伝えできたなら
その
恐ろしい結果がおこらずに
すんだのかもしれないという
お伝えできなかった責任を
勝手に自分が責任を感じてしまうという
なんかへんてこりんな責任感があるのかもしれないと思うのです
しかし、その痛みets
は、自分にはないもので
その結果の痛みを感じているのは
他人であって自分にはその痛みはない
しかし
その痛みをなんか
自分も同じように感じてしまう
これを共感という
こころの痛みを
同じように
ほんとは感じる必要がないのだけど
もし
自分がその痛みを感じたなら
どんなにつらいだろうか
どんなに苦しいだろうか
どんなに痛いだろうかと
他人の感覚を
感じてしまう
繊細な心をもちあわせた人たちは
なぜか
その痛みが自分の痛みであるかのように
つらい思いを共感してしまいます
しかし
人生というものは
すべてが事前に他人が予知してしまう人生
には興味がなく
宝くじがあたる予知ならば
ぜひ教えてほしいのですが
それ以外の
他人が自分の人生を決定してしまうというものは
すべての人たちは望まない人生だと思うのです
他人が
自分の人生を左右している時期は
やはり生まれてから
すべてを親にゆだねている時期
いわゆる
未成年の生活時期に
なかなか
好き勝手出来ない時期があるのですが
それも
思春期には
非常に
自己主張が始まり
親離れが必要となっていくと思います
だから
自己決定が
ほんとの自己決定として
責任が伴う成人期を過ぎた
人間は
やはり
自分の人生は
自分で決定し
あらゆるリスク
と
あらゆる八女リカンドリームを
同時にある
時が
その決断の
責任が行きつくところであると
そう感じているわけです
だから
他人の人生は他人が
リスクとドリームを有する決断をもち
自分の人生は自分が
リスクとドリームをもち
他人のリスクとドリームに
立ち入ることはできない
立ち入り禁止区域と考えておくべきと考えます
とりとめもない
決断の連続に
結論
介護者は
他人の決断に
立ち入り禁止区域
他人の決断が
介護を必要とするならば
その決断の結果は
他人がとることですので
決断の結果を意識することなく
介護を提供できれば
それでいい
結論に行きつきます
その介護によって
結果が
死に至ることが
確実な時
介護に責任が伴いますが
その介護を決断された
介護の依頼者が
その責任の持ち主であることが
再前提
これまた
卵が先か
鶏が先か
寝られない時間に入りました~
介護の依頼者から
発生した
介護行為は
責任の所在は
介護の依頼者にありますが
介護行為がでたらめになったとき
介護事故という
ことが
起きたならば
それは
介護に責任が来るはずなのです
だから
ややこしくなるから
やはり
介護は
感情がない
無味無臭無音
無感情無機質無情
な介護のロボットになれば
なんの
干渉も受けずに
介護の結果は
自己責任として
自由な意思表現が
本当の生き方が
可能となるのではないかな~
このままでは
地下鉄が
どうやって
地下に潜りこんだか
わからない話と同じで
寝られなくなるために
この辺で
決断の連続を中断して
中途半端な
思考のままであることを
決断して
終わりたいと
なんか
もやもやした
決断の連続の話ですが
これも決断したいと思います
おやすみなさい
西口